2011年10月6日木曜日

節電と原発に思う

日経新聞の春秋というコラムを読んでいて少し気になった。
「節電というのは自ら信じ、自らの意思で行うものだ。ところが東京電力の経営の実態を知るとその意思が揺らぐ。・・・・電力会社の節操が見えないことには(節電の)スイッチまで手が伸びない。」と書かれている。
最初は節電は自分の意思でやるのだと書かれていたので、その通りと思ったが、後半を読むと東京電力がいい加減だと節電する気にならないと書かれている。この筆者はまるで東京電力のために節電しているように受け取れる。節電は東電のためでなく、自分のためにやるのだろう。それも、今までの使いすぎを反省して節度ある使い方をしようというものだろう。筆者の書き方では東電の供給力ができたら、節電せずに地球温暖化リスクのある火力だって、原子力だっておかまいなく使ってしまうような書き方である。

長野の中学生が文化祭のなかで原発についての討論会をしたそうだ。大方の大人の予想を裏切って賛成と反対が半々だったそうだ。と言っても賛成した人も、代替エネルギーができるまでの暫定利用であるが、いまの自然エネルギーでは自分たちの自然豊かな土地に風力や太陽光が設置され、自然や景観がこわされるからというものであり、反対した人も自分たちがきちんと節電すれば原発を動かさなくても足りるからというものであった。子どもたちは利権のない素直な目で見ていることがよくわかる。

このピュアな子どもたちを悲しませないような解決策を大人は考えていかなければならない。春秋子さんどうですか?

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