2011年1月5日水曜日

組織文化について

 藤原さん 正直に言いますと、組織変革もお祭りと組織文化もブログネタとしては難しすぎますね。コメントしようかと思いましたが、長くなりそうなので別項にしました。 難しいので理解不十分ながら考えてみますと、祭りというのは古来から神社の神事として継承されてきたものだと思います。それらは継承されるうちに洗練されデザインとしても優れたものになって来ているのだと思います。それらには祭りの担い手としての人がいると思います。 
 
 翻って日立の祭りを見ますとさくら祭りにしてもよかっぺ祭りにしてもそうした古来からのものではなくイベント的なものだと思います。さくら祭りの日立風流物にしても主役ではなく、あくまで見世物です。いろいろな物を寄せ集めたイベントは行けば楽しく、おいしく時を過ごせますが後に残るものがありません。私も出展していますが、祭りを作り上げている一体感はあまり感じません。割当られた場所に展示し、説明し、撤収するだけです。 よかっぺ祭りが、あれだけの人出にもかかわらずもう曲がり角と言われているのも、最初は希望者を募ってイベント(祭り)を作り上げていくという熱気が達成感をもたらしたことと思いますが、出来上がって継続していくことによる達成感は少ないからだと思います。主役が無い祭りなのです。さくら祭りも主役が桜です。人ではありません。不勉強をさらけだすようですが日立風流物も大したものだとは思いますが、あれは何に使われるものなのでしょうか?日立風流物が本来の目的のために使われたところを見た事がありません。 
 小生は趣味で庭作りをしていますが、庭も10年かけて作ると、10年目の出来上がった瞬間が最高で、その状態を次の10年維持することは新しく作る以上に大変です。英国の名庭園は10年どころか100年以上のところが一杯あります。これらは恐らく維持という考えではなく理想の庭を求めて作り続けているのだと思います。そのためには庭に対する理念というか思想があってその先に理想というか目標があるのだと思います。 
 
 さくら祭りやよかっぺ祭りの理念とか思想はあるのでしょうか?やはりそういうものが無いと徐々に行事をこなすだけ(もちろんそれはそれで大変ですが)になってしまいます。仮に街づくりが目標とすれば祭りで集まったエネルギーをほかのところに流し込むことがなければ同じことの繰り返しです。
 昔は会社で運動会がありました。目標は優勝です。でも本当の目標は一体感のある強い組織作りだったのかも知れません。優勝する集団は能力が高い集団ではなく、参加意識の高い集団でした。見物客ではなく主役がたくさんいて一体感のある集団が強いのです。自分がこの役をやるのだと感じている人が多いほど強いのです。そのための仕掛け作りを一生懸命やったものです。運動会もなくなって久しいのですが、最近、世の中が少し流れが変わり、こうしたものが求められているように感じています。実は運動会も立派な組織文化だったのかも知れません。 もっとも残念ながらかなり内向きなものですが。グローバルな時代にになり、もっと外とのコミュニケーションができる組織が求められているのかも知れません。

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3 件のコメント:

  1. よかっぺさん>

     大学院の入試問題に向けて勉強していることだったので、小難しくなってしまいました。。
     確かに見る人に向けたものでなかったと、反省しました。
     今後もご指摘お願いしますm(_ _)m


    ところで、日立風流物↓以下に見つけました。
     http://www.jsdi.or.jp/~masahiro/
    抜粋すると、
     『日立風流物は日立市の前身である日立村の鎮守神峰神社の祭禮に、氏子達が奉納の意味で造った』
     本来の目的とは違う形のただの見世物になっているのは残念ですね。

     しかし、100年を頭においた庭作りというのは凄いですね!まさしく、夢想の実現を求めた庭造りだったんでしょうか。
    wiki↓http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%82%AE%E3%83%AA%E3%82%B9%E5%BC%8F%E5%BA%AD%E5%9C%92

     100年というと、次の世代にも受け継がれていくのですから、思想の継承がなされてないと、バラバラになりそうですが、写真を見るだけでも凄いですね。機会があれば実際に見てみたいものです。


     自分は、京都に行ったときにお寺で見た庭は、思わず見入ってしまいました。。

     観賞用というよりは、瞑想や座禅のため、また思想も伝えたりする目的があったらしいですね。室町時代くらいから続いているとか?

     もっと西洋よりはスピリチュアルな感じなんでしょうか?

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  2. 日立風流物は7年に1度なのですね。連休の真ん中ですのでほとんど出かけていて見る機会がありませんでした。もうすぐ休みにしばられなくなりますので、ぜひ見たいですね。
    ただ、写真を見ても、いまひとつ盛り上がりを感じませんが、なぜでしょうね?

    地元の方にも、何となく外から来た工場の人たちに対する対抗心のようなものがあるのでしょうか。
    毎年、初詣に近くの神社に行きますが、この神社も氏子はほとんど地元の方で、団地の住民は近いのですが、あまりいないようです。団地は団地で神社の祭りとは別に子どもみこしや市民みこしをかついでいます。
    どうも街が二本立てあるいは二重構造になっているような気がします。

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  3. 対抗心のようなもの、というか内意識なのでしょうか。

    でも、日立市自体が外から来ている人が多いのに、内意識だけだと、可能性はどんどん小さくなりますし、課題の解決なんて到底出来ないと思います。

    内意識というのは、外国の人が未だに珍しいという島国の日本では特別に強いのかもしれませんね~。
    特に、日立に元々住んでいた住民(日立製作所以外の理由で住んでいる人)にとっての日立のイメージはどうなんでしょうか?


    今日聞いた新しい情報ですが、風流物がユネスコに登録されたとか。ルーツは傀儡子の居た平安に坂のぼり、風流物は江戸からでしたっけ?

    でも、継承者不足に悩んでいるらしいです。

    伝統を守ると言いつつも、どこかに内意識があるのかも。

    伝統は守るものは守り、新しい物を取り入れるということと誰かが言っていました。

    科学だけが隆盛をし、物語や精神性が薄くなり、形式だけが進んできてしまっている今の時代。

    形式だけ守ろうとすると、精神や意味・価値は伝わりません。存在価値は飾り物?

    道具は、そのように使って初めて意味やストーリーが出てくるのではないでしょうか。

    もちろん、石器みたいに、全く使われないものが展示されるのは当たり前でしょうが。


    ある環境の中で、組織化される条件として次の3つが当てはまるそうです。
    ①情報の開放性
    ②ポジティブフィードバック
    ③非線形

    逆に言うと、
    ①地域の内意識のため、外とのつながりはなく、情報のやりとりはない。新しいものを取り入れられない、お山の大将⇒衰退の原因、広い視点でビジョンを作れないことに繋がる
    ②理念がない、プライドが邪魔をする、自信のなさ。ファシリテーターや、リーダーの欠如、良い意味での外の声が聞こえない⇒意欲の低下、なぁなぁ意識。慣れ。思考停止。
    ③喧々諤々のやり取りがない喧々諤々を嫌う小山の大将意識、効率を求めた会議で創造的な物は育まれず、なぁなぁの結論で終わる⇒共通認識が生まれない。新しい物が育つ下地がなくなる

    なんて、実際の苦労も知らない、知り物顔で言う自分が馬鹿みたいですが。。

    ただ、この3つは絶対に必要な要素だと思います。

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