組織文化論を勉強中です。
お祭りはそれ自体がシンボル的なものだと思うんです。
茨城県デザインセンターの一ノ瀬さん(建築のデザイナーであり、長野県で湧き水のワークショップを行った)と以前にお話をした時に、『江戸などの昔から現代へと続いているお祭りは本当に良くデザインされているものだよね。』と言っていた、それがとても印象的でした。
本来のお祭りは、世代を超えて連綿と受け継がれてきたモノとコト。
誰でも主役になり得る白紙もある。はみ出るような者が居た時には、それをセーブする顔役もしっかりいた。
お祭りを受け継ぎ、語り、実践することで、お祭りの基の魂(理念や、普遍的な価値のようなもの)の継承もされていく。
ねぶたなどの東北のお祭りは特にそうかもしれません。夜は子どもも引ける山車が。
今の効率を追及し過ぎた時代には、必要のない非効率に移るかもしれません。
しかし、利害関係などの立場を超えて、人と人をつなぐという意味では、本当に大切なものなのかもしれません。
ある種の強制力と、逆に自ら関わる主体性の意識、お祭りを繋げていく者としてプライド。
それらは本当は日本の知恵の結晶、叡智として続けられてきていたのではないでしょうか。
お祭り=イベント。ではなく、お祭り=様々なものとJOINTするもの。と言い換えることが出来ると思います。
JOINTされるもの。それは山や川などの自然であり、人と人。ご先祖様や地域の偉人、はたまた動物であったり。
現代は無縁社会と言われるように、縁がなくなりつつあります。
でも、お祭りで身近に繋がれていたのかもしれません。
今、お祭りを見直す時期に来ているのでしょう。
繋がりを取り戻すためのお祭りへと、デザイン。
そのためには、デザインされつつも、あえて白紙を残し、参加者で埋めていくという行為での共有が出来ると最高かもしれません。
体験は一番の勉強。でも、机上のことも聞くと、さらに効果的。自発的な行動が出来る素地があれば体験はさらに深いものになる。それが実を結ぶためにも継続もあるとさらにグ~!でしょうか。
思いついたことをダラダラとすみません。
シンボリスティックなモノに、共通の体験という行為・行動が組み合わせる効果(自分の解釈も入っています)。
①お互いの違い(立場、志向)を覆い隠し、繋がりが作られる。共通の体験により、お互いを受け入れやすくなる。
②組織文化を共有しているという認識をもたらす。体験による、共通の土台が出来ることで、意識しない部分での繋がりも出来る。
③より深いレベルで価値規範の共有が出来る
④参加がアイデンティティになる
さらに、アート、お役立ち機会、活動の中の一部になれるなどのスパイスがあると、
①参加していること自体が自信につながる
②主体性をもてるようになる
○組織文化のの構成要素としての価値規範は、
・組織全体を穏やかにおおう『WHY、WHATのロジック』として機能する『普遍的な価値規範(あいまいさがある)』
・特定の立場や状況において『HOWのロジック』として機能する『実践的な価値規範』
の2つに分類される。
○また、組織文化の構成要素としての行為は、
・『習慣的な行為』と、
・価値規範にもとづいて構築される『臨機応変な行為』
の2つに分類される
○このうち、2つの価値規範のあいだには、
・普遍的な価値規範にもとづいて実践的な価値規範が構築され、正当化される、
と同時に、
・実践的な価値規範にもとづいて普遍的な価値規範が再形成されるという相互作用がある
○価値規範にもとづいて構築された行為は繰り返されていくうちに習慣的な行為になる(時間はかかる)
○構想要素間のダイナミクスの価値規範から行為への影響
・普遍的な価値規範が臨機応変な行為を構築する
・実践的な価値規範が習慣的な行為を運用、制御する
○構想要素間のダイナミクスの行為から価値規範への影響
・行為および、それをもたらした結果の解釈にもとづいて価値規範が再形成される
・行為が望ましい結果をもたらした場合、従来の価値規範はより強化される(逆もあり)
●実際の組織生活において、普遍的な価値規範が組織のメンバーの行為に影響をおよぼすことは稀であり、人々の行為のほとんどは実践的な価値規範によって運用、制御されている
●普遍的な価値規範の習得ということにかんして言えば、シンボルをつうじて受動的に理解するというプロセスよりも、自らの行為の結果からのフィードバックから主体的に理解していくプロセスにおいて、習得はより深いレベルになる
●普遍的な価値規範は本質的に曖昧なものなので、組織メンバーが内容、深さにおいて完全に共有することは出来ない。それにもかかわらず、組織メンバーが組織のメンバーが組織文化を共有したという認識をもつことができるのは、実践的な価値規範や習慣的な行動が共有されているから
0 件のコメント:
コメントを投稿