2011年7月27日水曜日

脱原発を考える

脱原発を本気で考えませんか?賛成ですが、難しいですね。
気軽に考えれば脱原発がすなおなのですが、本気で時間軸を入れて考えるとそれが本当に良いのか?その前に解決しなければならない問題が多すぎて、本当にそれらができるのか不安が一杯あります。
でも、間違いないのは新エネルギーを何とかしないと大変だということです。原発が30%だからその代替を考えれば良いだけでなく、原油があと数十年しかないとすれば火力の代替も必要です。原油がないということはガソリンもないのですから車が電気で動くとすればそれだけ電気の使用も増えます。

いまの新エネルギーの技術では原発の代替も難しいでしょう。日本では休耕田とか言ってますが、かたや地球規模では人口が増え続けており、食糧危機がせまっています。耕せる平地をすべて耕さないと食料が地球規模では足りなくなるかも知れない。とても平地をソーラーやバイオにまわせる余裕は無いかもしれません。

新エネルギーが頼りなければ、省エネ・節電ですが、熱中症でバタバタ倒れてしまう世の中です。お年寄りには家の中で亡くなっておられる方もいます。それは省エネ・節電のせいではなく、原発のせいだという人もいるかも知れませんが、いま急に脱原発ということで原発を無条件にとめたとしたら同じことが起きないでしょうか?

企業の節電努力も大切ですし、貴重ですが、家族が3ヶ月も休みが違うなどかなり苦労されている人もいます。世の中で行われる土日の行事に参加できないことは社会との繋がりを難しくします。保育所を休みに動かせば良いだけの話ではありません。被災地の苦労を思えばそれくらいなどという乱暴な言い方もありますが、問題が違うと思います。

おそらく脱原発のためには、単なるエネルギーの問題だけではなく、コンパクトシティーとかコミュニティビジネスとか社会のあり方を変えていく必要があるのでしょう。放射能はこわい。私は大丈夫だから原発をとめてという考えの先には、しわよせが地球上の弱者のところに行ってしまうリスクがあります。原発にむらがっていた金の亡者は、今度は新エネルギーに群がるでしょう。金の亡者は理念ではなく、儲けで動くのだと思います。

いろいろな意味で社会のあり方、コミュニティのあり方を見直す必要がありそうです。もちろん地域のあり方、国のあり方もですが、まずは自分達の暮らしやコミュニティについて考えてみるのが良いのかなと思います。私も脱原発の方向を模索したいと思っていますが、先のメドも立たないのに浜岡のようにいきなり止めるのには違和感を持っています。1000億円でいまの技術のソーラーをばら撒き、高値で買い取らせるのではなく、新しいソーラーの技術革新に投資するならすばらしいと思いますが・・・・結局、原発の後始末も東電といいつつ国民負担だし、脱原発の新エネルギーも電力会社ではなく国民負担です。国民はいくら世論調査でNOをつきつけても勝手に進んでしまいます。意思を表明する機会が欲しいものです。

にほんブログ村 地域生活(街) 関東ブログ 日立(市)情報へ
にほんブログ村

0 件のコメント:

コメントを投稿