2月19日のひたちみらい会議の仲で、お隣の席に座った70歳代しおたさんにインタビューしたものです。
自分が席につくと、丁度隣の席がしおたさんでした。
おそらく会場中で一番のご高齢。
見た目には歩くのも大変そうでした。
そんな、しおたさんが、この長丁場の『ひたちみらい会議』に何故参加されたのか。
という素朴な疑問が出ていました。
それでは、しおたさんが、『なぜ、ひたちみらい会議に参加したのか?』のインタビュー内容をみなさんにもご紹介いたします。
●思い
一番始めに口から出た言葉は『未来につなげたい。』でした。とても印象に残っています。
そこから、
『年齢も高いので、これからのまちのためのお手伝いをしたい。』
『普段は、市の施設で洋裁のお手伝いをしています。手仕事をおばあちゃんから、子どもへ。子どもから、また広がり、つながってきました。
今までに、色々な場に出て、新しい出会いがあったりしました。
そういう人との接点をもつのが私の楽しみなの。』
と笑顔で語ってくれました。
『洋裁は趣味で60年位やっているのよ。女学校から始めて、今は第2次世界大戦で廃墟になってしまったけど。
そこから、世界の日立になった!という自負があったけど、今は衰退しているまちをみると寂しい気持ちになるの。
だから、このまちの未来のために力になれることをしていきたい。』
『昔はお隣さんがあったけど、今はつながりがない。まちのなかでお隣同士という気持ちで、手をつなげ合えるように出来ればと思っています』
『今も生徒さんが居るけど、思い出をみんなで作りたいね。とパッチワークでみんあんでキルトをつくりました。
今後は、もっと繋げていって日立の自然を活かした活動もしてみたい。』
『日立市の文化は、良いものがあってもお粗末。工場ではうまくいったけど、文化では駄目だったのかな?』
みなさまそれぞれ感じること、思いがあると思います。それぞれの違う気持ちを大切にしていければ良いですね。
まちに対する熱い思いを聞いて、胸が熱くなりました。
まちのことを思う気持ちというのは、年代は関係ないものだと実感できました。
今まで、日立製作所におんぶにだっこだから衰退しているんだ。とマイナスな目で見てきた自分を反省しました。日立製作所はまちの誇りだったのですね。
人と話をし、思いを聴くのは、とても勉強になります。
日立のまちを焼け野原から作りあげた方々からすると、衰退や繋がりの薄さは寂しさにも通じるものがあるのだと、深々と考えさせられました。
確かに、廃墟から世界の日立を作り上げたということは、今はまちが普通にあるからありがたみを感じませんが、世界を見渡しても、とてつもない偉業に入るのだと思います。
昔の日本には活気があったのは、この廃墟から立ち直ろう!という心が一つになって、みんなで無我夢中で頑張った結果だと思います。
あの頃とは時代が違う。とボヤイていないで、目的と変える意志と協力する意志があれば、何とかなるのだと改めて学ばされました。
自分が感じた教訓は、
①つながりあうことの大切さ。顔の見える関係。協力しやすい関係。
②日立市は自分たちの文化を大切にする意志を持つこと。
③みんなで良いまちを作ると、という気持ちを共通させ、醸造していく。
④まちへの愛着は焼け野原になろうと衰退しようと関係ない。
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