2011年3月1日火曜日

インタビュー ひたちみらい会議への思い

2月19日のひたちみらい会議の仲で、お隣の席に座った70歳代しおたさんにインタビューしたものです。

 自分が席につくと、丁度隣の席がしおたさんでした。

 おそらく会場中で一番のご高齢。
 見た目には歩くのも大変そうでした。

 そんな、しおたさんが、この長丁場の『ひたちみらい会議』に何故参加されたのか。
 という素朴な疑問が出ていました。

 それでは、しおたさんが、『なぜ、ひたちみらい会議に参加したのか?』のインタビュー内容をみなさんにもご紹介いたします。

●思い

 一番始めに口から出た言葉は『未来につなげたい。』でした。とても印象に残っています。

そこから、
『年齢も高いので、これからのまちのためのお手伝いをしたい。』

『普段は、市の施設で洋裁のお手伝いをしています。手仕事をおばあちゃんから、子どもへ。子どもから、また広がり、つながってきました。
 今までに、色々な場に出て、新しい出会いがあったりしました。
 そういう人との接点をもつのが私の楽しみなの。』

 と笑顔で語ってくれました。

『洋裁は趣味で60年位やっているのよ。女学校から始めて、今は第2次世界大戦で廃墟になってしまったけど。
 そこから、世界の日立になった!という自負があったけど、今は衰退しているまちをみると寂しい気持ちになるの。
 だから、このまちの未来のために力になれることをしていきたい。』


『昔はお隣さんがあったけど、今はつながりがない。まちのなかでお隣同士という気持ちで、手をつなげ合えるように出来ればと思っています』

『今も生徒さんが居るけど、思い出をみんなで作りたいね。とパッチワークでみんあんでキルトをつくりました。
 今後は、もっと繋げていって日立の自然を活かした活動もしてみたい。』

『日立市の文化は、良いものがあってもお粗末。工場ではうまくいったけど、文化では駄目だったのかな?』




 みなさまそれぞれ感じること、思いがあると思います。それぞれの違う気持ちを大切にしていければ良いですね。

 まちに対する熱い思いを聞いて、胸が熱くなりました。

 まちのことを思う気持ちというのは、年代は関係ないものだと実感できました。

 今まで、日立製作所におんぶにだっこだから衰退しているんだ。とマイナスな目で見てきた自分を反省しました。日立製作所はまちの誇りだったのですね。

 人と話をし、思いを聴くのは、とても勉強になります。

 日立のまちを焼け野原から作りあげた方々からすると、衰退や繋がりの薄さは寂しさにも通じるものがあるのだと、深々と考えさせられました。

 確かに、廃墟から世界の日立を作り上げたということは、今はまちが普通にあるからありがたみを感じませんが、世界を見渡しても、とてつもない偉業に入るのだと思います。

 昔の日本には活気があったのは、この廃墟から立ち直ろう!という心が一つになって、みんなで無我夢中で頑張った結果だと思います。

 あの頃とは時代が違う。とボヤイていないで、目的と変える意志と協力する意志があれば、何とかなるのだと改めて学ばされました。


自分が感じた教訓は、

 ①つながりあうことの大切さ。顔の見える関係。協力しやすい関係。
  
 ②日立市は自分たちの文化を大切にする意志を持つこと。

 ③みんなで良いまちを作ると、という気持ちを共通させ、醸造していく。

 ④まちへの愛着は焼け野原になろうと衰退しようと関係ない。

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