2012年2月11日土曜日

講演から思ったこと「街の閉塞感は・・・」

もともと緑のカーテンの普及と言う街づくりにかかわる団体を手伝っていた。その縁で、人づくり、街づくりのいまの百年塾に属するようになった。もちろんでもない歳ではあるが、まだ会社員でもある。そして、この百年塾も会議と資料(紙量?)が多い。ほかの活動もしているので毎月3~5cmずつ資料がたまっていく。それは捨てさえすれば(それがなかなかできないが)良いことであるが、会議の生産性が低いと言うか効率が悪い。

なぜだろうと考えてみると、あることを話し合っている時に、20人いてもそのことを直接担当するのは2~3人である。真面目に考えているのは2~3人である。その人は会議の前にも考えているから、会議中に考えても新たな気付きは少ない。そして、また1~2人の人が対案のない否定的なことを言う。それをまた否定してまわりを納得させるための議論であるから到底建設的とは言い難い。

そんな感じで決まった事業(行事)は、それを本当にやりたい訳ではないが、自分の時に手伝ってもらえないとか割り振られたからという手伝いの人と、何とかうまく進めたい当事者とで運営される。うまく、いかなかったり、段取りが悪いとお客さんどころか、その手伝いの人からも文句が出る。こうして本来その事業(行事)で伝えたかったことはどこかに行ってしまい。事業(行事)を無事実施すること、そのものが目的となってしまう。

反省会をしても当事者以外は伝える目的は関係なく、事業(行事)の実施の手伝いに来ただけなのでそこに共感はない。もちろん、繰り返し行われている事業(行事)は、段取りが決まっているから実施そのものが目的となってもスムーズに進む。でも、伝わったかの反省が行われ、改善されていく事業(行事)はまれである。ある事業(行事)をしようと欲すると、チームの会議、部の会議、部の副部会長会議、企画会議、本部長会議の会議の階層があり、それを上り、下りてこないといけない。しかも、市の助成があるので行政のチェックもある。もちろん資料作成もそれに付随する。

毎月、これだけの会議があると、実行にかける時間よりも、会議の時間の方が長い。そういう時間の作れる人、あまり意味のない会議に耐えられる人しや、実行こそ命で黙って会議に参加する人しか役員になれない(ならない)。フェスタにしても、実際の展示の準備にかける時間よりも実行委員会の会議時間の方が長い。会議時間より、準備時間の長いのは核となるほんの数人と、普段の活動ができていなくてあわてて準備している人たちだけかも知れない。そして委員はボランティアである。最初から開き直って仕事をしないのもいるが、強く言うとどこかで開き直ってしまう。開き直りたいが、気は弱く、責任感は強い人は仕事を投げ出せない。かくして時々切れそうになることもある。

こういう会議や資料作りなどの事務が多いので、せっかく街づくりをしたいと入ってきた人が失望したり、行事の時だけの出席になってしまう。あるいは自分の活動母体というか舞台が別にあり、ギブアンドテイクで活動している人しかいなくなる。民間の団体に入れば普通は会議は月1回であとは準備と実施の実働である。指定管理者になれば活性化できるか?であるが、市民会館や科学館など行政の影響力の強い団体が指定管理者になったところはどこもパッとしない。あきらかに事業(行事)実施が目的で運営されているとしか思えない。震災以降、街にも少しにぎわいが戻りつつあると思うが、こうした状況が閉塞感をあたえ、にぎわいにフタをしているのかも知れない。

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